被保険者が調査 日本での損害保険の始まり 被保険者による被保険者のためのブログ

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被保険者が調査 日本での損害保険の始まり

被保険者です、こんにちは。

前回は、損害保険の起源について調査してまいりましたが、
今回は、日本での損害保険の始まりの歴史について調査してまいりました。

日本での損害保険にあたる制度は、
朱印船が活躍していた時代に投銀と呼ばれるものがありました。

江戸時代初期の朱印船貿易の盛んなころ、
日本の豪商はポルトガル、中国人、海外貿易をする日本人たちに、
船舶ならびに船荷を担保として、資金を貸し付け投資しました。

日本へ帰航したのちに、元利を返済させることを約定し、貿易投資をしました。
島井、末次両家には貸付証文がのこっているそうです。
そこには
・出発者名
・借受人名
・借受銀額
・利率
・投資船名
・渡航地名
・客商名
・かこいの割増率
・担保
・連帯保証人名
・契約年月日
の11項目が規定されています。

貸付銀額30貫より150貫に及び、必ず丁銀を用いたそうです。
利率は、それぞれ航海および元利回収の危険率に応じたようです。

貸主は長崎、博多、堺の商人がおもであり、単独貸より組合貸しが多かったそうです。
ただし、1639年以降天川船の投銀は禁止された。

という性質上、投銀は一種の海上保険でした。


ただし、江戸時代には、海上請負というものがありました。

海上請負とは、
船主や廻船問屋が、荷主に対して運賃見合いで貨物の損害に対する補償を行う制度です。
運送契約の形態を取っており、保険契約とは異なってはおりますが、
海上保険のような制度といえるでしょう。

明治時代に入ると、保険制度が本格的に始まります。
福沢諭吉や夏目漱石などの著名人も、保険制度について紹介しております。

現代の損害保険は、明治維新の際に欧米諸国の保険制度,/strong>を導入した際に始まりました。

鎖国が解かれ開港したばかりの横浜で、
外国人を対象とした外国保険会社による火災保険海上保険の引き受けが始められました。

そして、
明治12年には東京海上保険会社(現、東京海上日動火災保険株式会社)が創立されました。

その後、
明治14年には、横浜で保険業をする会社が72社、火災保険を扱う会社は30社もありました。

当初は外国商社を対象としたものでしたが、
文明開化とともに日本の商社や日本人を相手とする保険会社も出始めるようになりました。


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