被保険者が調査 明治時代の損害保険事情 被保険者による被保険者のためのブログ

被保険者が、被保険者として世の中の仕組みについて調査・検証・報告して参ります。

ホーム > スポンサー広告 > 被保険者が調査 明治時代の損害保険事情ホーム > 損害保険 > 被保険者が調査 明治時代の損害保険事情

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

被保険者が調査 明治時代の損害保険事情

被保険者です、こんにちは。

前回は、日本での損害保険の始まりを調査して参りましたが、
今回は、明治時代の損害保険事情について調査してまいりました。

明治時代の損害保険は、海上保険火災保険の2種類が大半を占めました。

ただし、当時は、東京海上保険会社のように、
海上保険火災保険はそれぞれ別々の保険会社が片方の保険だけを扱っておりました。

損害保険会社の現在の社名を見ても、海上・火災を含むものが多くあります。
社名から、海上・火災のどちらをメインにしていたか推測することができます。

日本で初の損害保険会社は、
三菱グループを作った岩崎弥太郎が参加して、
渋沢栄一が世話人になった海上保険会社です。

火災保険会社は、
神奈川県の税関が明治2年に、保税倉庫内の貨物について火災損害の請負を行なっておりました。
強制火災保険制度が明治11年に議会で提案されるも、
最終的に火災保険は任意加入方式を採用する運びとなりました。

海上保険の方が日本では、早く作られておりました。

保険会社はその後、明治時代の財界人によって相次いで多く設立されました。

しかし、保険業界の競争の激化、大正時代に入って関東大震災等で、
複数の保険会社が経営難となり、整理統合を余儀なくされます。

それ以降は大蔵省の監視のもと、
損害保険会社生命保険会社がそれぞれ20社ほど営業をする時代がしばらく続きました。



↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い





スポンサーサイト
損害保険 | トラックバック(-) | コメント(-)

EDIT
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。