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被保険者が調査 自動車保険の歴史

被保険者です、こんにちは。

前回まで、損害保険の歴史を調査しておりました。
今回は、自動車保険の歴史について調査して参りました。

前回まで調査してきたように、損害保険のルーツは海運の事故の備えるものでした。
明治の初期に福沢諭吉が西洋の損害保険を「災難請け合い」と紹介しましたが、
明治11年には日本初の海上保険会社が設立となり、
明治12年に船舶向けの損害保険の発売が開始となりました。

自動車が欧州で発明されたのは1880年代後半です。
そのわずか10年後の明治30年代になると、日本に初めて自動車が輸入されました。
初めて日本を走った蒸気自動車でした。
そして明治40年には、国産初のガソリン自動車が生産されました。

それを受けて、大正3年に日本で初めて自動車保険に発売されました。
日本で自動車が走り出して10年後にすぐ発売されています。

第二次世界大戦後の昭和30年(1955年)には、自動車損害賠償保障法が公布されました。
時代は戦後の復興期にあたり、自動車の数も爆発的に増えてきました。
そして、同年、自動車損害賠償責任保険が発売となりました。
現在に続く自賠責保険がここで誕生しました。
ちなみに、このときの自賠責保険の死亡補償金は30万円でした。
そして翌昭和31年には自賠責保険の強制加入が実施されることとなりました。

自動車保険自賠責保険は、日本の経済成長に歩調を合せて、補償額を増えてきました。
昭和35年(1960年)には死亡補償を30万円から50万円に引き上げられ、
昭和39年(1964年)には100万円に
昭和41年(1966年)には150万円
昭和42年(1967年)には300万円
昭和44年(1969年)には500万円
昭和48年(1973年)に1000万円
昭和50年(1975年)に1500万円
昭和53年(1978年)に2000万円
昭和60年(1985年)に2500万円
平成3年(1991年)に3000万円
平成14年(2002年)に死亡補償の上限はそのままに、後遺障害保険金を4000万円になりました。

自動車保険は、日本国内の事情に合わせてきましたが、
1998年にアメリカの強い意向で自由化されました。
自動車保険の自由化がスタートし、外資系の自動車保険が上陸することになりました。


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